4月2012

行き交う人々の中で

街を歩くと多くの人とすれ違う。
通勤ラッシュや帰宅ラッシュなら、なおさら数多くの人々とすれ違う。

都内では何かに急かされて急ぎ足で行き交う人や周りを見ずに行き交う人がいる。

急ぎ足で行き交う人の顔は無表情で、 他人という言葉がお似合いだ。
多くの人が他人には無関心だ。
倒れていてもうずくまっていても気にはしない。
すれ違う人達は、人であって人ではない。
街の風景の一部なのだ。
テレビや映画、ゲームで育った僕達は、行き交う街の風景は映像でしかないのもしれない。

だから、映像の中に疑問点を見つけても気付かないのだろう。
それでいて、実際に映像の中から自らに接触したものがあると、非現実から現実に戻されて、対応にまごついてしまい、見知らぬふりをする。

大昔と比べられないほどに今の時代はストレス社会となり、少しでもストレスを軽減したいのは理解できる。
その一つが見知らぬ振りか無表情なのかもしれない。

そんな多くの行き交う人の中、皆が進む列から少し外れ、皆のペースに合わずに邪魔になる人もいる。
できる範囲で進めばいいと思う。
その他大勢の中に埋もれる事が良いとも言えないからだ。

僕も一概ではなく、
多くの人と変わらずに埋もれたいと思っているが、だが多くの人と同じにはなりたくない。
もしかしたら僕が皆にペースを合わせない、自分勝手な者なのだろうか。

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【Mac OS X】10.5以降で、OS9のフォントを使用する。

以前、「OS9のフォントをAdobe製品で使う方法」としてブログに書いていたのですが、現在購入できるMacには、Mac OS X 10.5からクラシック環境(OS9環境)が機能から無くなりました。
ですから、以前書いたブログのようには上手くフォントを持ってこれません。

Mac エミュレーターのようなこのクラシック環境は、OS9でしか起動できないAdobe製品の古いバージョンなどで、いざという時に使えるのがとてもメリットだったのですが、無くなってしまいました。

10.5からは、OS9に変わり、10.5以前のOSでのみ起動するアプリケーション(10.1〜10.4)のクラシック環境になってしまいました。
※10.7のLionで、この環境も無くなりますが。

まあ、もうOS9は不要との事ですしね。僕の周りでも使っている人はほぼいません。
昔ながらの代理店は未だに使っている所もありますし、印刷所もイラストレーターは10でまだまだ入稿できますので、OS9で10は動きますから。

ですが、今Macを購入したら、OSはLionですし、2年ほど前に購入したMacもOSは10.5となっていて、それ以前のOSはインストール不可です。

OS9時代に購入したフォントを使おうと思っても、現在のOSですと拡張子のない「UNIXファイル」扱いとなり、ターミナルが立ち上がってしまいます。

ですが、現在のLionでもOS9の時に使っていた「Type-1の欧文書体」や「TrueTypeフォント(欧文・和文)」、「NEW CID」などは使えます。

ただ、OS9からOSXにそのままコピーやCD、MO経由で持ってきてもUNIXファイルとなってしまうので扱えません。拡張子を変えればとも思うでしょうが、替えても認識されません。

このような場合の対処方法。

OS9のみでしか立ち上がらないMacでは無理ですが、OSX 10.1〜10.4がインストールされているMacが必要です。

その場合、OS9のクラシック環境が入っていてもいなくても関係ありません。
「ユーティリティ」→「ディスクユーティリティ」を開き、持っていきたいフォントをフォルダにまとめて、そのまとめたフォルダを「新規イメージ」から選択し、拡張子「.dmg」のイメージディスクファイルを作成します。

作成後、そのイメージディスクファイルを使用したいOS X(10.5以降)に持っていって、イメージディスクファイルをダブルクリックすれば、デスクトップにイメージディスクファイルが展開されマウントされます。

その段階で、拡張子とアイコンが付いているはずです。
その状態でしたらそのままフォントフォルダにコピーすれば使用できます。

使用しているMacが、段階的に「10.4」→「10.5」→「10.6」→「10.7」とアップグレードしている機種でしたら、「10.7」でも何もせずにOS9のフォントは認識されますが。
そのような機種でも、一度初期化して「10.7」をインストールしたのであれば、上記のやり方でOS9フォントを持ってきて下さい。

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本日、都内は桜が満開である。
出社前に川崎の公園を歩いてみた。
川崎も天気予報の予想通り満開だった。

去年は震災の影響で、桜如きではなく、祭りやイベント、花見もほぼ中止されていた。
去年は桜を観賞する余裕もなく、日本は危機的状況に陥っていた。

そして一年。
復興も順調ではなく、まだ手付かずの場所も多々あり、原発の収束せず様々な問題が日々起こっている。

だが、今年もまた桜は満開になった。
日本は昔から、4月になると桜は満開になる。
戦争、大震災、津波、積雪、台風と深刻な被害をもたらしても、毎年4月に桜は満開になる。

だから大丈夫。
希望を忘れない限り、僕らは大丈夫である。

だから、日々僕らは良いものは良いと、ダメなものはダメだと分別する勇気も必要なのだと思う。

頑張っている人の元に、必ず桜は満開になる。どんな回り道をしたとしてもだ。

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トップアイドル

僕は昔は結構なアイドルおたくだった。子供の時はアイドル全盛期だったから尚更である。

僕は子供の時からアイドルの中でも売れてる人が好きだった。
それも一番だ。

2番以下はみな同じ。
1番じゃなきゃダメだった子供時代。
大人になっても変わらず、トップアイドルと呼ばれるくらいが好きだったのだ。

何が売れてる判断なのかは、僕が勝手に作っていた部分もある。

売れるには理由がある。
人気があるには理由がある。
10年に一人と言われるくらいの人が好きだったのだ。

ここ数年のアイドルは、僕が思う昔ほどのトップクラスではなく、近所のアイドルというとこらしいので、ほぼ興味はない。
昔のおニャン子みたいな感じなのだろうか。

僕が生まれて覚える限りの好きだったアイドル達である。
女性に限ります。

キャンディーズ
きっと最初に好きだったアイドルだろうか。僕は去年亡くなったスーちゃんが好きでした。

ピンクレディー
知らない人などいないくらいにブームになった。僕はミーちゃんが好きでした。

山口百恵
伝説と呼ばれたアイドル。今当時の歌を聞けるほど名曲が多い。

松田聖子
小学校高学年から中学までの青春って感じだった。今昔の曲を聞いたらよみがえりそう。今でも好きです。

中森明菜
松田聖子の後、結構長いこと好きだった。今は療養中との事。
好きな歌は数多くある。

中山美穂
ドラマにも主演していたので当時はほぼ見てました。

工藤静香
当時、振り付けも流行っていて、周りで真似している人が多かった。
歌も中島みゆきのものも多く名曲が多い。

安室奈美恵
僕も当時は小室ブームに乗っていました。今でも大好きです。

浜崎あゆみ
僕が覚えてる限り、最後のトップアイドル。

最近はあまり日本の曲を聞かなくなったけど、浜崎あゆみ以降は僕が思うトップアイドルはいないですね。
出てくるのを楽しみにしています。

あくまでこれは僕の主観ですけど。

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ショップ経営【My History 6】

2004年7月 僕がホームページデザインを始める一年ほど前、会社で新しい事業を行う事になった。

台場に新しく出来るショッピングモールに、会社が出店するとの事だった。
ペットグッズショップ。

社内で誰も店を経営した経験はなく、ショップ経営のノウハウもない。展望もない素人店の出店。
その当時、ペットを飼っていたという事だけで僕を含む3名が、強制的に担当する事となった。

バイトの面接から、店舗のデザインと設置、店売する商品の用意、その他必要なものを3人で用意する事となった。

以前の会社は担当以外は手伝わない。そんな風潮だったので、通常の仕事をやりながらショップの仕事と、社内で倍以上働いていた。

楽しいのは最初だけだった。
あとは苦痛になっていた。
誰一人手伝ってはくれない。バイトが足りないと僕らが店番をする。
場所は台場で会社から遠かったが、週に一度は順番に店をチェックしに行かなくてはならなかった。

出店して店を閉めるまで約一年。
そんな事を続けていた。

赤字で終わった店舗。
ショッピングモールの経営自体問題だった。客を呼ぶイベントなど何も行わず全て店舗任せ。人任せ。
結果を残せなかったショップ経営。

僕はこの時期感じた。
結局、任された以上誰も助けてはくれない。
最後まで責任を持って行うのは己のみ。人に頼ってはダメだ。

僕は一度受けたものは最後までやり通す。例えそれが失敗だったとしても。

都会の行き交う人と同じ。
触らぬ神に祟りなし。
誰だって面倒には加わりたくない。
ましてやサラリーマン。
一つの仕事をしようが、百の仕事をしようが、給料は変わらない。
だったら楽な方がいいだろう。

そうほぼ全ては…、だからなんだね。

今の会社は真逆の考え方で起業した会社だ。
みんな一緒。
僕は見て見ぬ振りは、嫌いなんでね。

ショップ経営撤退後、僕の道はWebデザインへと続いてゆく。

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捉え方

何事でも捉え方によって大きく変わる。
答えを求める時、YESかNOの二択しかない。
それ以外を求める事は出来ない。
答えではないからだ。

ポジティブかネガティブか。

どうしようもない時はある。考えて考えぬいてもどうしようもない時はある。
そんな時でもネガティブに考えずに、なるべくポジティブに考える事だ。

ネガティブは、その人の気持ちをダメにする。その人の行動をダメにする。
どんなに自分に負い目を感じても、心まで否定的になってはダメだ。

どんな時だって最後には乗り越えられる。乗り越えられない事などないんだ。
自分を信じる事だ。今の今まで生きてきたのであれば、その年月の自身はあるはずだ。

そう願おう。
ポジティブに、前向きに。
捉え方によって全てが変わる。
失敗しても、上手くいかなくても、次は確実に出来ると誓うのだ。
ゴールは遠く辛くても、まだまだこれからだと誓うのだ。

進める以上は、進むべきだ。
ネガティブな気持ちは捨てるのだ。
まずはそれから始めよう。

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時代

中島みゆきの「時代」。
僕が京都にいた頃から耳にしていたが、アイドルが好きだった年頃だった僕は聞かなかった。

東京に上京してバイトをしながら生活していた頃、中島みゆきを聞き始めたのだが、当時流行っていた「あした」から聞き始めたから、あまり昔の曲を聞かなかった。

もちろん、ファンだと言っているくらいなので、古い曲も聞いてはいたのだが、あまりにも有名な曲だったことと、聞かなくてもフレーズは分かったし、この曲を耳にし過ぎて飽きていた感もあり、それに当時は歌詞に共感せずにこの曲をスルーしてしまっていた。

だが、今僕はこの歌の意味がわかるようになった。
やっとだろうか。

この曲は、この歌詞は壮大過ぎて身近に感じる事が出来なかった。

幾つもの挫折を経験してこそ、この歌の本意が分かるのだろう。
幾つもの年月を生きてきたからこそ分かるのだと思う。

どんな人でも、その人の人生に当てはめて聞く事が出来る。

「時代」は伝えている。
例えどんなに悲しい今でも、いつか振り返り笑いながら話せるのだと。
だから、くよくよせずに今日の風に吹かれましょうと。

笑って話せるその日まで、何度倒れても生まれ変わり出会い歩き出すのだと。時代は良くも悪くも周りながら。

この曲の意味がやっと分かったなら、僕は次に向かっているのだと感じるのだ。

今度機会があったら歌ってみよう。
人それぞれの時代があるはずなのだから。

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マーク・ザッカーバーグ Facebook

今年に入ってからだろうか。
去年よりFacebookを使っている。
仕事でFacebookページをデザインしたのもあるだろうし、周りでFacebookをやる人が増えて僕の友達リストも増えてきたからかもしれないが、去年より使っている。

去年は、独立した事もあり、出来る範囲でSNSを使っていた。
Twitterから始まり、Facebook、アメブロと。

僕はもともとブログはやっていたが、周りでほぼやっていたmixiは使わなかった。登録をしたくらいだった。

見ず知らずの人とコミュニティで盛り上がるのに興味はなく、面白みを見出す事もなく使わなかった。
僕には敷居が高かったようだし、そんなに友達もいなかったし。

それがTwitterは、気軽に思った事をつぶやけるのが良かった。わざわざ返信する事もなければ、つぶやきから様々な今の情報を手に入れられて使いやすくて、今でも使っている。

アメブロは、この社長ブログよりもう少しプライベートを取り入れ、読みやすくしたブログを書きたかったから良かったんだと思う。

Facebookは何か使い買ってが難しく、分かりづらくて、最初はmixi同様登録だけしていた。
だが、使っていくうちにだんだんと使い方がわかってきて、良いコミュニティツールだと思うようになってきたのだ。

今年に入ってからは、デザインが一新した事もあり、使う機会が増えてきた。
やはり計算尽くされたシステムと使っていてわかる奥深さもある。

どんな人でも自分なりの使い方で使っていく事ができるから、世界中で使われてるのがわかる。
これは発明だなって感じる。

今年に入り身近になったFacebook。
僕もこういう発明をしたいものだ。
感心するし尊敬をする、マーク・ザッカーバーグに。
スティーブ・ジョブズ亡き今、マーク・ザッカーバーグに注目し尊敬し目標にしている僕がいる。

僕の気持ちを掻き立て、ワクワクさせるFacebook、それを作ったマーク・ザッカーバーグ。
僕のフェイバリットである。

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人生はRPG

僕が中学一年生になった頃、任天堂からファミコンが発売された。
僕は以前から任天堂から発売されていたテレビゲーム15やゲームウォッチが好きな子供だった。

ファミコンでドラゴンクエストが初めてのRPGだったのだ。

最初は何も装備もなく、貧相なスタイルで始まる。
勇者の血を引き継いでいる主人公は、さらわれたお姫様を助け出しドラゴンを倒す。
そして世界を救う。
今となっては当たり前となった王道のストーリーの基本である。

弱い敵ですら倒せなかった主人公は、戦ってレベルを上げ、金を稼いでより強い武器や装備を買い、書物を読み魔法を覚え、レアな装備を見つけ、様々な人と出会い、仲間と一緒に冒険をして成長してゆく。

一から何かを始めようとする者に上手く当てはまる。
トライしようとする者にとても当てはまる。

実際、ゲームとは人の経験の元に作られた娯楽であると思う。
RPGは、人の運命を仮想空間に再現し、あたかも自分が体感してるかのごとく進むものなのだろう。

どんな人でも、何かを始めるのは恐怖なものだ。
それに打ち勝ってこそ、目的を達成してこそエンディングを迎えられるのだ。

難しいと諦めてはだめだ。
倒せないと諦めてはだめだ。
解けないと諦めてはだめである。
自分ができる範囲でレベルを上げるのだ。
解ける人に頼り、解き方を覚えるのだ。

時間がかかってもいい。
着実にレベルアップするのだ。
逃げてはだめだ。逃げたらもうその場所には戻れなくなる。
今だから倒せる敵もいるんだと気づかなきゃだめだ。
時期を逃したら倒せるものも倒せなくなる。

人生はRPGである。
諦めて今までと変わらずに生きてゆく事も出来る。
時間をかけてもエンディングを迎える事も出来る。
目的を果たせたら、次は更に難しいRPGに旅立つ事も出来る。
決めるのは自分自身なのだ。

もしかしたら旅立ちの敵は、己自身なのかもしれないね。己に勝ってこそ一歩が踏み出せるのだから。

諦めようが、最初からやらないであろうが、好きにすればいい。
ただ、せっかく成し遂げるチャンスがあるなら、無理してでもやるべきである。

平々凡々と暮らし終わっていく事が、全うして生きたと言えるのか。
それで本当に何も後悔はないのか。
年なんて関係ない。いつだって旅立つ事は出来るのだ。

生きている事自体が、もう旅立っているのだと気づいた方がいい。
だったら、より強くなろうと思えるのは普通の事じゃないだろうか。

日々の些細な事でも経験になる。
少しでも今より上を望み歩んでいたら、経験値はたまりレベルは上がる。

僕は見てみたいんだ。
最後に待つ敵の姿を。

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忘れられない場所

どうしても忘れられない場所がある。
悲しみの場所。
愛猫ルナが亡くなった場所。

体調が悪くなって、毎日獣医科に通っていた帰りの車の中で亡くなった。
とっさの判断を僕は誤り死なせてしまった。

僕が間違えなければ今でも生きていたかもしれない。
いや、生きていただろう。
そう思うと、僕は今でもずっと苦しい。

僕の家族の終わり方は、何故みんな辛い終わり方なのだろうか。
僕の家族の死は、今でもずっと僕を苦しめる。
全てが僕の責任だと問い詰めるほどに。

ルナの死も僕のせいだとわかっている。
僕の愛するものは、みんな悲しい最期を迎えるのだ。

僕は死んでいった人に問いたい。
死んでいったルナに問いたい。
何故?普通に死ななかったのだろうかと。
そうしたら、全て悲しいだけで過ごせたのに。
そうしたら、毎日家から駅までの道のりの途中、ルナが亡くなった場所を知ることも見ることも後悔することも無かったろうに。

東日本大震災で、こんな僕なんかより、相当の苦しみや悲しみを負った多くの人がいる。
その苦しみを考えたなら、僕のこの痛さは比ではないだろう。

それでも、毎日あの場所を通ると悲しみがフラッシュバックして苦しくなる。後悔の念が僕の心臓をわしづかみにする。

独立から、毎日めちゃくちゃに頑張っているのは、この死が運命だと思いたいがため。
この死が背中を押してくれたと、そして見守られているんだと思いたいがため。

でも、生きていてくれた方が幸せだったのは、僕はちゃんと分かっているのだ。

本当の意味はわからない。
僕の運命なのか。僕が死なせたのかは。

ただ、毎日あの日を忘れるほどに頑張るしか僕を救うものはない。

きっとこの先も僕が死ぬその日まで、僕が愛する人は僕のせいで死んでいくのだろうか。

また新しい苦しみを与えられるのだろうか。

そう思うと僕はもう何も愛さないと思ってしまう。
たとえ愛したいと思っても。

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