サーバー運用【My History 5】

僕が制作の部署を任されて一年半ほど経った頃、ホームページ制作だけでは、周りの幾万とある制作会社の中に埋もれて消えてしまうと感じていた。

だから、ホームページ制作以外で収入源となるものを探していたのだ。
ホームページ制作だけでは収入源とはなっていなかったからだ。

会社は利益の出ないホームページ制作より、既存の紙媒体の雑誌広告を優先するよう僕は経営者から言われていた。
だから、片手間にしかWeb制作は出来ず、紙媒体の仕事の合間にしか出来なかった。
そんな状態でいいものが出来るはずはない。誰一人として成長する事は出来ないままだ。

このままでは、趣味の域を越えられはしない。
個人のバイトの域を越えられはしない。一世一代のプロジェクトでも何でもなく、ただの会社の暇つぶしだったのだ。

周りは誰も僕には協力をしなかった。何をしようとしてるかも知らずに、協力すら出来なかったのだろう。

だから僕は模索していたのだ。
その頃、務めていた会社の周りでやっていなかったサーバー運用に目を向けた。

自社サーバーを社内に構築し、レンタルサーバー事業で収入源にしようと思い実行に移した。

サーバーを社内に配置し、今までの遅いネット環境を光回線と契約し高速回線にした。
社内のLANネットワークを繋ぎなおし、全員が社内で接続出来て、全員がインターネットに接続しメールを使えるようにした。

社内サーバーの設定はとても大変だった。ただ、Appleのサーバーだったので設定アシスタントがあり比較的楽だった。
だが、細かな設定はUNIXコマンドで設定しなくてはならなくて、専門知識ぐない僕には理解出来ずに細かな設定は行わなかった。

それに設備投資を極限に抑えるためにルーターまで僕が設定する事となった。IPアドレスが何なのかも知識がなかった僕は何度も間違え何度も初期化し直し、何日もかけて設定する有様だったのだ。

それでも無事に設定が終わり、社内でメールやインターネットが見れた時は安心した。

しばらくは調子が良かったが、細かい知識もなく対処方法も知らない結果、様々なトラブルが発生した。

会社のホームページやメールも自社サーバーに移した結果、トラブルがある度に周りは僕にやんわりと追求する。
紙媒体の仕事を止めながら対応する。
毎日最終電車になり、休日も出る事になった。

そして、決定的だったのがサーバーの熱だった。
24時間稼働しているから高温で機体が暑くなる。季節も夏になり、室温が急激に高くなり、誰も出勤しない休日には冷房がない分、社内は高温だった。

熱が原因でサーバーダウンが頻繁になり、一社にレンタルサーバー運用していたから、ダウンしたら再起動しに来なければならなかった。
仕事終わりに飲んでる最中や休日までもダウンし会社に戻っていたのだ。

サーバーの熱対策しなかったのが原因だったのだ。僕は熱さ対策が必要だというのを考えていなかったのだ。
サーバー本体だけではなく、室温も冷やさなければならなかった。
これが素人考えで起こす事業の結末。
大失敗である。

僕の時間も無駄に使い、周りから反感を買い、一年も保たずに失敗した。

安定したサーバー環境にするため、大手のレンタルサーバー会社と契約し、サーバーを移行した。

ただ、社内のルーターとしてもサーバーを使っていたから、まだ半年ほどはルーター機能だけだが、サーバーを使用していた。
案の定、熱で何度もダウンし、インターネットに接続出来ない時が何度もあったが。

辛い毎日だった、このサーバー運用の期間は。

僕はこの時に思った。
事前に対策さえしておけば、時間はかかるとも出来ない事ではないと。
かかる時間のストレスに耐えられるかは別なのだが。

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