頑張りの報酬

よく頑張っても報われないとか、頑張った挙句裏切られたとかよく聞く。
それは頑張ったんじゃない。
踏ん張っていただけだ。

踏ん張るのは貧乏人で、だから死に物狂いで踏ん張らなくてはならなくて、しかも現状維持。
無力は無力だと絶対に何も追い越せないと。

そう日本では、子供の時から僕らは学校やテレビ、アニメ、本、映画、歌によって叩き込まれている。

頑張れる範囲があり、生まれながらにその範囲は決められ太刀打ちできずに臆病になるよう教育されている。
それが踏ん張りだとは気付きもせずに。

だから、ほぼ僕らは冒険はせず、型にはまった生き方を選択せざるおえない。
それが普通であり、一般であり、平凡であり、幸せであると思い込まされてきた。

頑張りと踏ん張りがすり替わっているだけだ。

大多数と同じでなければ間違っているのだろうか。
列からはみ出たら間違っているのだろうか。
周りに合わせて行儀よく並んでいるのがいいのだろうか。

周りに流されて利用されて八方塞がりな状況は頑張っているとは言えない。

自分を持ち続けていなければ、頑張るとは言えないのだ。

人に言われて頑張っていると思うようでは頑張ってはいない。踏ん張ってるだけ。
自分の意思で頑張るのだ。
自分の為である事が、自分以外でなく周りをも変えてゆくのだ。

だから敢えて僕は言う。
今を変えたいなら、未来を変えたいなら、己の為に一所懸命頑張る事だ。
頑張りは己の精神を育ててくれる。
人は死ぬまで成長するのだ。
スピードは違うが歳を取っても成長する。

頑張ったら必ず報酬はもらえる。
それは絶対だ。
頑張れば頑張った分、己の価値は上がっているのだから。
何にもせずに文句だけをいい、流されているのが望んでいる事なのか。

だから世間を気にする事はない。
違いを見せれば、いつかは納得するだろう。
「一般」には。

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