ペットの殺処分

たまたま今日、夕方からの「報道特集」で猫の殺処分の特集を見たのだ。
三重県の自治会が、野良猫の一斉捕獲。それに毒えさを使っての処分を回覧板として町内に配っていた。
捕獲された猫は、三重県の保健所に運ばれて、処分される。

小さな金網のケースに入れられて、小さなボックスの中に運ばれて殺される。

人間は地球の支配者なのだろうか。命を奪う権利などないはずだ。
環境を破壊し、動物を絶滅させ、罪のない命を平気で奪っていく。
いつか人間に返ってくるだろう。この命の責任が。

人間が捨てたペットの末路がこの一斉捕獲と殺処分なら、あまりにも惨すぎるだろう。
インタビューに応えていた自治会の人は、笑みを浮かべながら質問に答えていた。
愛猫家からの抗議について、世間から言われることなどない。何も悪い事していないのだから。

そうだろうか?勝手な人間の考え。
臭い物にはふたをして、見なかったことにして、静かに暮らして行きたいだけ。
野良猫を増やしたのは、己らなのに。

こんなニュースを見るたびに、人間以外の生き物が哀れに思えてくる。
人間がいることで、せっかくこの世に生まれた命が弄ばれていく。

命を何とも思わない人間にはなりたくない。僕は軽蔑する。
人間とはそんな馬鹿げたものではないと思いたい。

殺処分されるペットを減らしたい。これは僕の願いなのだ。
だから、もっと会社が安定したら、この問題と向き合ってみたいと思っている。
一匹でも命を救いたいと、この会社を設立した時から考えているのだ。

夜の野良猫の鳴き声はとてもうるさい。盛りの時期なんてびっくりするくらいだ。
でも、殺すのではなく、別の解決法があるはずなのだ。
それを町内や自治会が連携して行っていけば、哀しい命を少しでも救えるのではないかと思うんだ。

この地球は人間だけのものではないのだから。
ちっぽけな周りの事だけを考えないで、もっと広い目で見てほしい。

 

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ペット

以前、今の家に住むまでお世話になっていた家があった。

当時、その家で飼っていた猫が何日も戻らなかった。だがその人は探しもせず、死んだのだろうと言っていた。

僕なら、気が狂いそうになりそうな出来事なのに。

そして、最近その家でもう一匹飼っていた猫が亡くなった。
一年前に体調が悪くなり持ち直し元気になったのだが、今年の夏また体調が悪くなったのだ。
医者は、もうだめだとの判断だったらしい。
おばさんは沖縄の実家に帰ってしまったが、その猫は娘夫婦が世話をしていた。
平日は仕事に行き、誰も家にはいない。
そんな状態だから仕方がないのだろうけど、安楽死させたのだと。
ペットの命とは、その人達からすれば物と同じ。

僕はその話を聞いて信じられなかった。
例え死ぬと分かっていても最後まで生を全うさせてあげようと思わなかったのだろうか。

僕は僕が飼っていた猫ではないが、その話を聞いて心が痛くなる。
犬や猫、飼ったなら最後まで面倒を見ようよ。
最後まで生を全うさせてあげようよ。
同じ地球上に住む生き物なのだから。
人間が勝手に生死を決めるのは間違ってはいないのだろうか。
命って人間により天秤にかけられるのは間違いだ。

震災後、僕は特にそう思う。人間以外の被災者が憐れでならない。

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いつの日か

今年起きた大震災は、多くの犠牲者を出し多くの被災地を作り、未だに原発の問題を抱え、非難した人がいつ戻れるかも分からない不安を持って、現在に至っている。
地震や津波で被災した方は、僕が想像し得ないほどの、とても辛い体験を経験された事だろう。

その大震災の中で家族として暮らしてきた犬や猫も被災者と言っていいのではないだろうか。
ペットは所有物と扱われ、法律では物である。
だが、本当の子供のように思い、暮らしている人も多いだろう。
僕もそうでした。猫を飼っていたが子供のように思い、家族として暮らしていた。
だから被災地のペットのニュースを見たり、知人から話を聞く度に心が痛くなる。

人間が作った原発の被害で、罪のないペットの命まで奪っているのだから。
ペットも被害者という事を忘れないでほしい。
非難した飼い主が帰ってくるのを待ちわびて、死んでいったペットの気持ちを思うと苦しくなる。
人間もペットも地球上に暮らす同じ生物なのに、何故にペットは見殺しにされるのだろうか。

僕はいつか、いつの日か、余裕が出てきた時には、会社として、被災地以外のペットの惨状も含めて、支援して行きたいと決めている。
一匹でもこの世に生まれたペットを幸せにしてあげたいと切に思うのです。

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