尊敬できる人

以前勤めていた会社では、僕が入社当初から、社員のほとんどが女性だった。
取り仕切っていたのも、クライアントの担当や経理、事務などほとんどが僕よりも年上の女性だった。

その前に働いていた仕事もTOPが女性だったので、そのような環境には慣れてはいたが、僕にとっては上司とは呼べなかった。
僕の仕事上の立場が微妙だったのだ。
女性がほとんどの部署にいたにも関わらず、入社2ヶ月で制作に移動となった。
そこは男性が二人で行っていた部署だったが、僕の所属は女性主導の部署だったので、中途半端な立場となっていたのだ。

女性主導の部署に属し、仕事は男性二人の部署。
ずっといるのは男性二人の部署。だが、当時は男性二人の方は会社名が違っていた。
それに僕はその男性二人のうち一人がもう一つの会社の社長をしていた。
僕は初めて会った当初から心を開く事はなかった。尊敬し従順し部下になることを拒否した。

女性主導の部署は僕が所属はしていても、そこで行われている仕事をしている訳ではない。
だから同じ社員としか思えなかった。上司でもなければ、尊敬できるというものではなかった。

どちらも、僕を育ててくれた訳ではなく。中途半端な立場にいた僕は取り残されていた。
僕は誰からも教えてもらった事はない。
今僕がこの場所にいるために覚えた全ては、僕が一人で勝手に覚えた事だ。
だから、身近に僕が尊敬する人物がいない。
親もいなければ、尊敬できる人もいなかった。

だから、手に届かない存在の「イエス・キリスト」や「諸葛孔明」、「スティーブ・ジョブズ」を尊敬する人にしたんだと思う。
僕が尊敬できる人が、僕が憧れる人。
僕が憧れる人が、僕が目指す人。
僕が目指す人が、僕がなろうと思うべき人。
僕がなろうと思うべき人。それが未来の僕。

そう心に決めて今まで歩んできた。
理想はより高い方がいいではないか。
身近に尊敬できる人がいなかったからだろうか。
僕が尊敬できる人になろうと思った。

僕はまだまだだが、一歩ずつ近づけるように己の精神を高めていきたい。
少しずつでも前へ進んでいきたいと心に刻んでいる。

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またまた三国志関連なのだが、僕は三国志の中で蜀が好きである。
諸葛孔明が尊敬の人物なので、蜀が好きなのは当たり前で、その蜀の武将も他の国より好きな武将が多い。
蜀以外にはあまり関心がない。

劉備、関羽、張飛の桃園の誓いから始まり、関羽と曹操の話や三顧の礼、趙雲の阿斗奪回、劉備が蜀を建国し、五虎将軍と見ていくとドラマチックで人間臭くて、義を重んじる劉備と引き継ぐ孔明など見所満載である。

五虎将軍の、関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超も素晴らしいし、彼らを支える、馬良や馬謖、糜竺、姜維と小説は読んでいてとても楽しく、ワクワクする。

天下三分の計を始め、劉備の意志を継ぎ、国のため民のためと戦っていく姿には感動する。
三国志の世界で、劉備や孔明を中心に蜀ほど民を思って戦っている人物はいないであろう。その部分が一番好きなのだ。自分のためではなく人のために。他人の幸せのために。

孔明と司馬懿の対決の五丈原の戦いでの最後は涙なくしては読めない。
孔明が劉禅に書いた出師の表も、僕にとって僕を変えてくれたものなのだ。

三国志を読み、蜀を好きになり、孔明に感動し尊敬をし、命をかけて全うする誓いや仁義。
その全てが僕の生き方をも変えてくれた。
だから僕の人生を左右したこの物語が、僕のバイブルであり、今後きっと死ぬまで刻み続けるだろう。

ここ数年、僕がすぐにでも行きたい場所。蜀。現在の中国成都市。

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イエス・キリスト

僕が幼稚園の時から憧れている人である。尊敬している人である。
偉大すぎて失礼になるだろうが、これはずっと思ってきた事である。

別に僕の家がクリスチャンでもなく、普通に仏教で今でも初詣はするし、墓参りもするし、神頼みもする。
僕は今後クリスチャンになるかどうかも分からない。
ならば何故にそこまで思うのか。
生き方が格好いいのだ。素晴らしいのだ。
僕は彼を信じる。奇跡を信じる。

僕は彼のように、人々に祈りたい。
僕の元に集まってくる人を幸せにしたいのだ。
僕が犠牲になっても、僕を信じる者を救いたい。
僕は尊く生きたいのだ。

僕は少しでも彼のように人を許して生きて行きたい。

僕の尊敬するイエス・キリスト。
僕のフェイバリットである。

 

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