行き交う人々の中で

街を歩くと多くの人とすれ違う。
通勤ラッシュや帰宅ラッシュなら、なおさら数多くの人々とすれ違う。

都内では何かに急かされて急ぎ足で行き交う人や周りを見ずに行き交う人がいる。

急ぎ足で行き交う人の顔は無表情で、 他人という言葉がお似合いだ。
多くの人が他人には無関心だ。
倒れていてもうずくまっていても気にはしない。
すれ違う人達は、人であって人ではない。
街の風景の一部なのだ。
テレビや映画、ゲームで育った僕達は、行き交う街の風景は映像でしかないのもしれない。

だから、映像の中に疑問点を見つけても気付かないのだろう。
それでいて、実際に映像の中から自らに接触したものがあると、非現実から現実に戻されて、対応にまごついてしまい、見知らぬふりをする。

大昔と比べられないほどに今の時代はストレス社会となり、少しでもストレスを軽減したいのは理解できる。
その一つが見知らぬ振りか無表情なのかもしれない。

そんな多くの行き交う人の中、皆が進む列から少し外れ、皆のペースに合わずに邪魔になる人もいる。
できる範囲で進めばいいと思う。
その他大勢の中に埋もれる事が良いとも言えないからだ。

僕も一概ではなく、
多くの人と変わらずに埋もれたいと思っているが、だが多くの人と同じにはなりたくない。
もしかしたら僕が皆にペースを合わせない、自分勝手な者なのだろうか。

カテゴリー:社長ブログコメント(1)

コメント

  • 勝ち組、負け組、っていうのはひどい言葉だけど
    別の言い方をするなら、やっぱり人には大きく2種類あると思うの。
    右へならえ、をする人間と、号令をかける人間と。

    社長と社員とかの立場の上下、という意味ではなくて
    右へならうのが楽な人と、それを先導する自信のある人、かな。

    2012年4月11日 10:50 AM | 叶屋

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