アバウト
2011年11月26日 3:28 PM
僕は結構、考え方が両極端なのだ。
あまり、その間を考えはしない。
アバウトは嫌いなのだ。
「出来る」か「出来ないか」か。
「成功する」か「失敗する」か。
「0」か「100」かだ。
たとえ、「100」でなくて、「70」だったとしても、何か希望が見えればそれは僕にとっては、あくまで「100」である。
それに比べて、「70」だったとしても、僕の目に何も映らなければ、それはあくまで「0」である。
僕の秤は、もちろん僕の意思のものであり、時々は僕が気づかないところで働いている場合もある。
「努力」「訂正」「前進」である。
この3つは僕にとって必須であり、僕が望むにとっても必須である。
「100」を目指し、「努力」するのだ。
足りない部分を「努力」で補い、辞書で埋めて、なるべく近づけるように頑張るのだ。
僕は頑張っている人が大好きだ。
昔からそうだ。頑張っている人は、どんな人であれ僕は惜しみなく応援をする。
間違ったり、失敗したら「訂正」をするのだ。
誰だって間違えるし失敗する。
思い描いていた未来に近づくために、何度も壁にぶち当たって、失望し落胆しても希望を見つけるために課程や方向を「訂正」するのだ。
何度間違えても、ちゃんと「訂正」すれば初めに戻るのだ。
「0」よりマイナスになっていたとしても、ちゃんと「訂正」すれば「0」に戻れる。
そうすれば、次は「100」を目指し「前進」すればいいのだ。
「訂正」は絶対に必要だ。
「訂正」せずして、成功なんかない。信頼もない。
どんな時もあきらめずに、今の立場より上を目指し「前進」するのだ。
立ち止まる事は、全てを放棄したものだ。
しっぽを巻いて逃げるのは、全てを放棄したものだ。
人生は「前進」するものだ。自分にハッパをかけて奮い立たせて「前進」しなくちゃ。
「努力」「訂正」「前進」。
僕が求める必要最低限。
持っていないものは、僕からしてみれば「0」だ。
「100」ではないと僕が評価をしても、「努力」「訂正」「前進」。
ここまで言えば分かるだろう。分かったならば、あくまで「100」である。
コメント
大変、説得力があります^^同意。
2011年11月27日 10:15 AM | 叶屋
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