舐められたネコ
2012年1月22日 8:00 PM
信頼とは長い年月をかけて築き上げる宝石のようなものである。
僕は、その信頼を築いて行くべく、日々頑張っているのだと思う。
時に信頼は背中を押してくれるし、時に信頼はかけがえのない感動を生む。
そして、信頼はお互いを心底想いやるように、人間としての成長と己の社会の地位を築き上げていく。
だから、日々それらを手に入れるべく、己の場所より高見を目指し昇っていくのだろう。
たまには失敗する事だってある。期待に応えられない時だってある。
お互いを想いやっていれば、それは信頼を失う事ではない。
ただ、現実が今の己とずれていただけだ。
修正すれば信頼を失う事もなければ、前以上に信頼を得る事だって出来るだろう。
信頼を無くすのは簡単な事だ。数時間、数分、いいや数秒で失う事はできる。
信頼を無くしたら、取り戻すのはたやすい事ではない。
場合によっては二度と信頼を取り戻す事は出来ないだろう。
だから、僕は信頼を得るために未来へと歩んでいる。
信頼とは宝物。目に見えないが、全うに生きている証である。
信頼を宝物だと思えないようでは、何事も成功などしないのだ。
猫は自分で身体を舐めるのは習性である。毛繕いをして、自信を持ち、美を作り、外に出て周りを威嚇し勝ち進んで行くのだ。
だから、逆に舐められるのは嫌いなのである。
そう舐められるのは不愉快なのである。
心底に信頼している者であれば、舐められるのは安心できる心を開いている証拠だろうに。
僕は猫の生き方で挑んでいきたい。
甘える時は甘え、威嚇する時は威嚇し、必要のない時は近づかない。
近づかなくても思い続けている。信頼している者は、日々忘れる事なく。
ネコ科には、飼い猫からヤマネコ、虎、ヒョウ、ライオンと多くの種類が生息している。
僕をただの飼い猫だと思わない方がいいだろう。
もしかしたら、ライオンかも知れないから。
舐められているネコなど存在しない。
信頼されていないのであれば、きっと逆に噛み殺されるであろう。
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