版下制作【My History 2】

僕が社員として働き出した最初の職業は、トラフィックだった。
そして、2ヶ月もたたないうちに、僕はトラフィックから異動し、版下を制作する仕事をする事になったのだ。

この頃の広告の制作方法は、今となってはパソコンで制作し、CDやメールで印刷所や出版社に入稿するが、当時のパソコンはCPUもとても遅く、ハードディスクが500MB、メモリーが128MB、記憶媒体はフロッピーディスクだった。
フラッシュメモリーもなく、メールも普及せず、アナログな時代だった。

広告の制作は、版下というものを作るのだ。
雑誌サイズのトンボが印刷された厚紙に、広告デザインがモノクロの印画紙に転写されたものを指定のサイズにカッターで切り、専用のノリで貼り付ける。
広告デザインの元となる図形は、AppleのPowerMac8100で、イラストレーター5を使い、モノクロで作り、モノクロプリンターで出力し、印画紙に転写して作っていたのだ。

今ではパソコンで図形の塗りと線に色を付けるのは簡単に出来るが、この時代は完成した台紙をコピーし、そこへ鉛筆で色指定をする。CMYKの%指定で。

毎回色指定するのも大変なので、使用する原稿によって、色指定した用紙を何枚もコピーしておくのだ。

写真を原稿内で使うなら、台紙に薄いシートを貼り、その上にコピーした写真のアタリを貼り付け指定すれのだ。

一部文字を変更するのは、写植用の文字をコピーして上手く原稿上に貼り付けていた。

現在のDTP制作はパソコンとカラープリンター、デザインソフトが必要だったが、以前は台紙、印画紙、カッター、色指定紙が必要だった。

この時期から2年ほど経つと、写植的な版下制作から、パソコンを使ったDTPへと変わり始める。

トラフィックの次の仕事は、版下制作だった。

カテゴリー:My History, 社長ブログコメント(0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントフィード

トラックバックURL: https://takanix.com/wp-trackback.php?p=1352