プログラマ【My History 8】

会社の専属宅配便なるトラフィックから始まり、10年ほど続く広告制作のDTPデザインを経て、Webデザインを始め、冷却で失敗したサーバー管理の後、
僕はプログラムの道に進む事となる。

インターネットが普及し、パソコンは一家に一台の時代が来て、インターネット回線も24時間繋げっぱなしで安価なADSL回線が誰もが契約出来た。

雑誌広告は今後下降を続けると僕は思っていた。
だから、無理をしてでも、Web制作やサーバー運用を進めたのだ。

だが、雑誌広告より低収入だったのでいつ会社が止めろと言われるか心配だった。

僕を入れた制作6人が食っていける収入がWeb制作では無かったのだ。

中止命令は、僕にとって死刑宣告だった。
一緒にされたくない、僕は頑張れるんだと葛藤があったのだ。

この時期Web制作に参入するには、遅すぎたのだ。
それは僕はひしひしと感じていた。
数ある会社に埋もれてしまうから。

だから、当時多少のプログラムがあったら外注に頼まなければならなかった。
それこそ、コストがかかる。金額が上がる原因なのだ。

僕らがプログラムを出来ればと思っていた。
それが始まり。

僕は7年前に、素人の状態から始めたWebプログラム。
学校に通わず独学で覚えたプログラム。
僕は必死だった。絶対にWebをする以前の状態に戻りたくなかったから。

いつの日からか僕はプログラマになり、Webシステム開発など行えるようになっていた。

この武器が僕になかったら、独立などできなかった。
あのままだったら、きっと僕は自信がなくて、誰一人僕に付いてくる人もいなかっただろう。

今でもまだまだ僕には知識が足りないし、日々インターネットは進化し付いて行くのに精一杯だ。

でも選んだのは僕自身。
会社を辞めたのも、独立したのも、プログラマになったのも。
何一つ僕は後悔などしていない。

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