フリーダム

「自由」
僕は自分の意思で、全てを行いたいと子供の頃から、ずっと思っていた。
だが、いろんな場面で失望が訪れ、諦めなければならない状況になっていた。
その失望はきっと僕の責任で、僕自身が生み出したのだろう。

だから、いつも何かが歯がゆくて、心が精神が抑え込まれている状態だったのだ。

どんな時でも僕は解放を求めていたが、幾重にも重なった失望で信じるという事に恐怖さえ覚えていたのだ。

他人は、他人を疎ましく思い、強制・拘束・妨害をする生き物であると。
だから、自分自身が強くなければならないのだと。

自由は手に入った。
今は全てに自由である。
疎ましく紛らわしい概念などない。
だが、自分自身の存在が全てを左右する状況は一つ間違えればとても危なく脆い。

だが、自分を信じるしかない。
可能性と本性に従い、何に対しても貫いて行くのだ。

自由を勝ち取るには、多少の犠牲はつきものである。

僕が犠牲にしたものは、きっと過去。

もしかしたら、疎ましいけれど安定していた地盤。
もしかしたら…だけれども。

カテゴリー:社長ブログコメント(0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメントフィード

トラックバックURL: https://takanix.com/wp-trackback.php?p=1913