オリジナル

何が普通で何が普通ではないのか?
この世の中は、多数決で決まっている。
多い方が正しく、少ない方が間違っている。
多くの人は、多数決で多い方に加わり、少ない者を見下している。
同じような考えや意見を求め、同意を得て安心し、そして違う考えや意見の者を仲間はずれにする。

少数の者たちは、周りから不思議がられたり、仲間はずれされたり、いじめられたり、差別の対象にされている。
無意識の中で皆がやっている事なのだ。
悪いと思っていないのが恐ろしい。 言動であれ、行動であれ、暴力であれ、気づかずに行っているのが大多数である。

政党の選挙や国会での投票などで、数票違いで間違いであっても正当化される。
1票違いなら変わらないではないのか?
でも大多数は1票でも多い方が勝者であり、少ない方が敗者である。

僕は考えや生き方が普通じゃないと言われても気にしない。
僕として生きて歩いている以上、大多数の人並みに意見など気にする必要はない。
僕はオリジナルなのだから。

人は人まねをして生きていけるほど、くだらないものなのか?
同意を求め、大多数の意見の中でしか生きていけない人の心の深くには、きっとオリジナルが存在する。
ある時、そのオリジナルが輝けばその人の価値は上がるのではないか。

他人の意見に悩み悲しむ人もいる。仲間はずれにされている人もいる。
僕が例えその中にいたとしても、僕は気にしない。
多数決で決められ、その多くの意見が普通だとは思わないからだ。

そのような普通がいいのですか?

心に持つオリジナルが輝けるよう頑張ればいいではないか。
その人が選んだ人生で、その人が歩いて行く道であるなら。
僕は少ない意見でも受け入れ、その人を応援する。
そんな人を目指し頑張っているのだ。

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