借金

借りたものは何としてでも返すのは、借りた者の定め。
当たり前であり、人としてしなくてはならない事である。

特に金は人と人との繋がりを切る。
金の切れ目は縁の切れ目というように。

どんな理由であれ、借りたものは返すのだ。
物でも金でも。

金を渋るのには理由がある。
普通ならあり得ない。払うべき返すべきなら尚更だ。
返せないから渋るのだ。
相当何かに困っているのだろう。
返したくないから渋るのだ。
確信犯なら最悪だ。

金は縁を切る。
大切に育て上げた縁ですら切る。
縁は奇跡であり、人とを繋ぐ宝物である。
それを切るなら上等だ。

借りた金の全てを借金だと思わない。
借金と言う言葉に嫌悪感があるのは、借金は借りた金を素直に返すのではなく、返せなくて苦労するからだと思うのだ。
時には返せなくて逃げたり、騙して返さない場合もある。
決まった状況で返さないのは罪であり、借りた人を裏切る詐欺行為だ。

だから、借金は身を滅ぼす。
育て上げてきた実を滅ぼすのだ。

滅ぼした実は二度と咲かない。
あえて選んだ罰である。

借金は人を汚す。
純粋な思いも汚すのだ。

払わないとだめな状況で、払わない人の気が知れない。
最悪な理由があるなら何とか理解は出来るのだが。

払う払うとずっと「払う」という言葉で逃げているのは、明らかに詐欺だ。
支払期限が過ぎても、何ヶ月も払わないのは、れっきとした詐欺行為だ。
1ヶ月過ぎてしまったら、払う気はない。
その期間、何も連絡なければ払う気はない。
忘れていた、勘違いしていた、たとえそんな理由を言ってくるとしたら、知っていた上での回答。舐めているとしか思えない。

借金にはいろんな解釈がある。
人から借りた金。
支払わなければならない金。
払うと誓った金。
支払わなければならない金も、期限を過ぎれば借金だ。
僕の解釈する借金は、期限を過ぎた金の事。人から借りた金だけなら問題はないが、借りたのに返さないのが問題だと言っているのだ。

借金を持つ者は、善人ではない。
善か悪の二択なら、悪である。

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