ペットロス症候群

僕は去年1月1日から、しばらくの間「ペットロス症候群」となっていた。
最愛の愛猫が亡くなり、僕は全ての目的を見失っていた。
結婚をしていない僕にとって、実家が京都である僕にとって、愛猫が唯一の家族だったからだ。

犬など猫などペットだろうと言う人も多数いると思うし、僕の周りでも相当居た。
ペットだろうが15年も一緒に暮らし、心の安らぎになり、元気づけられたり、僕が悲しいときは僕の側にいてくれる。
そうなれば家族であり、自分の一部なのだ。

その一部が突然無くなったとしたら、この世からいなくなったとしたら、どれだけ痛いだろうか。
僕と同化し、一緒にいるのが当たり前で、そのために心配で旅行に行けなくても、遅くまで飲みに行けなくても、僕は何ともなかったのだ。
その一部がもぎ取られたような状態なのだろう。僕が感じた「ペットロス症候群」とは。

片腕がもぎ取られ、血があふれ出し、痛くて痛くてどうしようもなく、もぎ取られた片腕は二度と復活することはない。
毎日毎日苦痛で、寂しくて、涙が止まらなかった。
一時期、笑いを失い、TVでバラエティ番組を見ても笑うことも出来ず、心が無の状態だったのだ。
それが、僕の感じた「ペットロス症候群」。

僕の身体から無くなった片腕はもう何もない。残ったのは火葬した骨のみ。
それを抱きしめてこの悲しみを解き放とうとしていたのだ。

このままなら死んでいたかもしれない。
生きていても楽しくはないし、ずっと悲しみに囚われて、生き地獄のように思っていたのだ。
妻子がいたならここまでにはならなかっただろう。いなかったら、いなくなってもいいんじゃないかと思ってもいた。
それが僕が感じた「ペットロス症候群」。

僕が立ち直ったのは、ある一言。
「亡くなったのは運命で、この時期に亡くなったのには意味がある」
僕はこの時期にしか独立は出来なかった。
それ以前は無理だったし、もっと遅ければ時期を見逃していたのだ。
「僕に独立の機会を与えてくれた」のだと。

そう思えば気が楽になった。
もっと頑張らなきゃって思った。
この想いを無駄にしないように、絶対に結果を残そうとおもったのだ。

そして僕は立ち直った。
そして僕は独立をした。
今でも悲しいし、思い出すと辛いが、僕は独立し起業したのだ。
だからもう悲しんではいられないと思えるようになったのだ。

何があっても頑張っていこうと心に決めたのが、「ペットロス症候群」から立ち直ったきっかけだったのだろう。
悩んでいる人は、悲しんでいる人は、目的を早く見つける事だと思う。
頑張れる目的を。
そして、亡くなったのには意味があると。

カテゴリー:社長ブログコメント(2)

コメント

  • 猫いなくなると、本当に淋しいんだよね・・・

    2011年12月15日 12:55 PM | 叶屋

  • つらいですね。その一言に尽きると思います。私も先々月末に最愛の猫を、心不全で1歳11か月で突然亡くし、重症のペットロス状態で途方に暮れていますが、社長さんの体験談、心に染みました。ありがとう。

    2012年4月1日 5:41 PM | rin

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