何のために働くのか 前編

おととしのクリスマス。
その日から、僕の苦悩は始まった。
クリスマス前までは、以前勤めていた会社で、僕が考えた社運をかけた新プロジェクトを年明けから始める予定だった。
例年通りの忘年会も行った。
僕らの部署だけで忘年会を行っていたのだが、やはり会社を一つにしたかったので、他の部署を含めた忘年会を僕は支持していたのだ。

景気が悪くなっていて、良い話を聞かなくなっていたから、僕は何とか良い方向へ変えたかったのだ。
だから、あるプロジェクトを進める予定だったのだ。

そして、時は2009年12月25日。
15年間大切に家族として過ごしてきたルナの体調が悪くなった。
25日から1月4日まで会社を休んだのだ。

25日から1週間、体調が良くならないまま、毎日病院に通い、点滴を打ち、何とか元気になれるように努力していた。
肺炎を起こしていたので、寒くないように部屋の温度を28度にし、湿度も上げ、部屋は相当暑かった。
スポイトで水を飲ませ、トイレまで運び、もしも知らない間に亡くなっていないよう、ほとんど寝る事もなかった。

年明け早々亡くなってからは、僕は何もやる気がなくなっていたのだ。抜け殻だろうか。

僕は、15年間離れる事なく家族として過ごした愛猫ルナのために働いてきた。
僕がいなくなれば、ルナも不幸になるとそう思って。
ルナを幸せにするには僕が幸せで、それでいて稼がないととそう思っていた。

ルナが腎不全になった時には、ストレスを軽減させるために、絶対に引っ越さない家に引っ越そうと思い、新築の一軒家を購入した。

そのために僕は頑張って働かなければ。
ルナをすぐに病院に連れて行けるように、そしてたまには京都の実家に連れて帰れるように、車も手放さなかった。
だから、頑張れたのはルナのおかげであると思っている。

僕が壊れたら、ルナも壊れるからだ。

亡くなってからは、何のために働くのか分からなくなり、意味も無いと感じ、このまま消えようとも思い、京都に帰ろうとも思った。
だから以前勤めていた会社は辞める予定だったのだ。

空っぽは虚しすぎて、笑顔もなく暗い場所を昼夜歩いている気分だったのだ。
笑っている人が憎たらしくなるほどに、僕の心は荒んでいたのだ。

他の社員や経営者から期待されたプロジェクトも、僕は進める事が出来ずにいた。
周りも僕の事を思い、何も聞かなくなっていたのだ。

何のために働くのか、これから。
僕はこの時は、その意味を完全に見失っていたのだ。そう完全に。

これが、今からちょうど2年前の話である。

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