人生はRPG

僕が中学一年生になった頃、任天堂からファミコンが発売された。
僕は以前から任天堂から発売されていたテレビゲーム15やゲームウォッチが好きな子供だった。

ファミコンでドラゴンクエストが初めてのRPGだったのだ。

最初は何も装備もなく、貧相なスタイルで始まる。
勇者の血を引き継いでいる主人公は、さらわれたお姫様を助け出しドラゴンを倒す。
そして世界を救う。
今となっては当たり前となった王道のストーリーの基本である。

弱い敵ですら倒せなかった主人公は、戦ってレベルを上げ、金を稼いでより強い武器や装備を買い、書物を読み魔法を覚え、レアな装備を見つけ、様々な人と出会い、仲間と一緒に冒険をして成長してゆく。

一から何かを始めようとする者に上手く当てはまる。
トライしようとする者にとても当てはまる。

実際、ゲームとは人の経験の元に作られた娯楽であると思う。
RPGは、人の運命を仮想空間に再現し、あたかも自分が体感してるかのごとく進むものなのだろう。

どんな人でも、何かを始めるのは恐怖なものだ。
それに打ち勝ってこそ、目的を達成してこそエンディングを迎えられるのだ。

難しいと諦めてはだめだ。
倒せないと諦めてはだめだ。
解けないと諦めてはだめである。
自分ができる範囲でレベルを上げるのだ。
解ける人に頼り、解き方を覚えるのだ。

時間がかかってもいい。
着実にレベルアップするのだ。
逃げてはだめだ。逃げたらもうその場所には戻れなくなる。
今だから倒せる敵もいるんだと気づかなきゃだめだ。
時期を逃したら倒せるものも倒せなくなる。

人生はRPGである。
諦めて今までと変わらずに生きてゆく事も出来る。
時間をかけてもエンディングを迎える事も出来る。
目的を果たせたら、次は更に難しいRPGに旅立つ事も出来る。
決めるのは自分自身なのだ。

もしかしたら旅立ちの敵は、己自身なのかもしれないね。己に勝ってこそ一歩が踏み出せるのだから。

諦めようが、最初からやらないであろうが、好きにすればいい。
ただ、せっかく成し遂げるチャンスがあるなら、無理してでもやるべきである。

平々凡々と暮らし終わっていく事が、全うして生きたと言えるのか。
それで本当に何も後悔はないのか。
年なんて関係ない。いつだって旅立つ事は出来るのだ。

生きている事自体が、もう旅立っているのだと気づいた方がいい。
だったら、より強くなろうと思えるのは普通の事じゃないだろうか。

日々の些細な事でも経験になる。
少しでも今より上を望み歩んでいたら、経験値はたまりレベルは上がる。

僕は見てみたいんだ。
最後に待つ敵の姿を。

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